呪術廻戦の両面宿儺のモデルは誰?伏魔御厨子は造語?

呪術廻戦両面宿儺のモデルはだれ?

呪術廻戦で最強最悪の呪いの王と呼ばれる両面宿儺。

呪術師からも呪霊からも恐れられていますが、モデルとなった人物はいるのでしょうか?

キャラクターの由来やモデルが何なのかを理解することで、そのキャラクターに隠された秘密や特徴が見えてくることがありますよね。

そこで今回は、両面宿儺のモデルは誰なのかを考察していきます!

そして、両面宿儺の術式「伏魔御厨子」についても解説していきます◎

呪術廻戦の両面宿儺のモデルは誰?

呪術廻戦に出てくるキャラクターには、日本に古くから伝えられる逸話や伝説が元となっているものが数多く存在します。

  • 特級呪物「呪胎九相図」のモデル:仏教絵画「九相図」
  • 伏黒恵の術式「十種影法術」の由来:日本の史書に登場する霊力を宿した十種の神器「十種神宝」

詳しくは以下の記事でご紹介しています。

九相図のモデルについて紹介している記事はこちら

十種影法術について紹介している記事はこちら

では、両面宿儺のモデルは一体何なのでしょうか?

調べてみると、すぐにその正体にたどり着くことができました。

両面宿儺のモデルは日本書紀に出てくる鬼神

「両面宿儺」でウェブ検索をすると、呪術廻戦以外の検索結果も見つかります。

それが、呪術廻戦の両面宿儺のモデルだと考えられる、「日本書紀」に出てくる鬼神です

両面宿儺は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、鬼神である。『日本書紀』において武振熊命に討たれた凶賊とされる一方で、岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開基となった豪族であるとの逸話も残されている。

ウィキペディア

両面宿儺は、「日本書紀」の仁徳天皇65年の条に登場します。

六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

ウィキペディア

……難しいですね^^;

ということで、日本書紀に登場する両面宿儺の特徴を簡単にまとめてみました。

日本書紀の両面宿儺の特徴
  • 仁徳天皇65年(西暦377年)に飛騨国(現在の岐阜県)にいたとされる人物
  • 1つの胴体に2つの顔、手足は4本ずつ
  • 人民から略奪することを楽しんでいたため、武振熊が率いる軍に討伐された


一方、呪術廻戦に出てくる両面宿儺は、呪術廻戦 第3話『自分のために』で、以下のように説明されています。

呪術廻戦の両面宿儺
  • 1000年以上前に実在した人間
  • 腕が4本、顔が2つある仮想の鬼神
  • 術師が総力をあげて彼に挑み敗れた

特徴がとても似ています。

このことからも、呪術廻戦の両面宿儺のモデルは、日本書紀に登場する両面宿儺であると言えるのではないでしょうか。

岐阜県に言い伝えられる両面宿儺

日本書紀での両面宿儺は、略奪を楽しむ悪者であり、異形の鬼神と恐れられています。

一方、両面宿儺の故郷である岐阜県では、日本書紀とは異なる逸話が数多く残されています。

岐阜県内の山「高沢山」では、村人に危害を加えていた神龍を退散させ、山頂に「日龍峰寺」を建立したと言われています。

他にも、両面宿儺が建立した寺院として、「千光寺」「善久寺」などがあげられます。

そして、それぞれの寺院には両面宿儺像が祀られています。

また、同じく岐阜県内の「位山」では、神武天皇に王位を授けたとも言われています。

その他、両面宿儺が国家安全と五穀豊穣のお経を唱えていたとされる岩窟「宿儺洞窟」があり、両面宿儺の石像が安置されています。

このように、岐阜県内では両面宿儺信仰が根強く、救国の英雄として称えられています。

両面宿儺ゆかりの地も数多く存在しており、現在では多くの呪術廻戦ファンが「聖地巡礼」として訪れているようです。

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呪術廻戦の両面宿儺の術式「伏魔御厨子」は造語?

伏魔御廚子は「伏魔」と「御廚子」が組み合わされた造語だと言われています。

言葉の意味を調べてみると、次のことがわかります。(参照: Weblio辞書、古語辞典)

「伏魔」の意味

  • 魔物が潜んでいるということ

 *※伏魔殿: 魔物が潜んでいる殿堂。


御廚子」の意味

  • 御廚子所(みづしどころ)に仕える人
  • 貴人の家の台所で働く人

※御廚子所: 宮中で天皇の食事や酒肴を調理する所。および、貴人の家の台所。

つまり伏魔御廚子とは、「魔物(=両面宿儺)が潜み調理をしている」ということを表す造語です。

ところで、先述した、岐阜県に言い伝えられる両面宿儺のゆかりの地の中に、興味深い場所があります。

両面宿儺が建立した「善久寺」に遺されている、「両面宿儺の御膳石」と呼ばれるところです。


  • 両面宿儺を討伐した軍は、武振熊という人物が率いていた。
  • 両面宿儺は武振熊と戦うことを決意して村を出ようとしていた。
  • 出発する前に村人からもてなされた。
  • しかし、故郷の人たちに危害が及ぶことを避けるため、寺の軒下にあった石のくぼみでおもてなしの御膳を食べた。

その石が「両面宿儺の御膳石」と言われ、現在まで遺されているのです。

伏魔御廚子の社はお寺のようにも見えます。

また、寺の軒先で御膳を食べたという伝説も残されています。

もしかしたら、岐阜県に言い伝えられる両面宿儺は、領域展開の由来にもなっているかもしれませんね。

両面宿儺の術式についての考察もしています◎

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まとめ

これまで、両面宿儺のモデルは誰なのか、領域展開とは関係があるのか、ということを考察してきました。

以下にまとめます。

  •  両面宿儺のモデルは日本書紀に登場する鬼神
  • 岐阜県では、救国の英雄として称えられている
  • 龍神を倒し、寺院を建立したという伝説がある

呪術廻戦でも両面宿儺は呪いの王として、日本書紀に登場する鬼神と同様に、人々から恐れられています。

しかしながら、伏黒恵を助けたり、呪詛師と共闘する呪霊を祓ったりと、呪術師に見方をしているのではないかと思われる場面も見られます。

岐阜県に伝わる伝説通り、救国の英雄となっていくのでしょうか?

両面宿儺を打ち祓った「武振熊」にあたる呪術師は誰なのでしょうか?

両面宿儺のモデルが何かを知ることで、知る前とは一味違った見方で呪術廻戦を楽しめそうです^^

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